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沖縄の生んだ脚本家「金城哲夫」氏の作品とその履歴を研究する会です~杉本一夫(2012年から)


by watanabe-toyonobu

改題「ただの雑談」

金城哲夫が、内心「沖縄と本土の架け橋になりたい」という気持ちがあったであろうこと
は、学生時代に訪沖団で沖縄へ行った事からして否定はしない。
然し、日本で脚本家を目指し、1962年にデビュー、そして1963年に自主映画を製作しながら
円谷英二に師事して門下に入り、円谷特技プロで仕事をしている頃は、渡邊氏やざんぶろんぞ氏
同様、「沖縄」は意識してなかった、と思う。
勿論、SF作家との交流から「ミステリーゾーン」や「アウターリミッツ」のような意味で、
ある種の現代文明に対する皮肉をこめたテーマは入っている。それはその頃流行った他の
SF小説やアニメでも同じ傾向でテーマを包含させた作品が多かった。
本年初の田中氏作品内で、満田穧氏が「ノンマルトの使者」について語っている事は、
1989年以前にはしばしばくどい位に聞いている。例の飲み屋さんでアイディアを出し合った
事である。おかしくなったのは、1992年の山田氏の著作もさることながら、
「沖縄問題」「米軍問題」を取り入れた内容の「私が愛した○○セブン」から、と思う。
1993年のこの作品をフィクションととらえてくだされば良かったが、この作品の作家が
有頂天になって「神話」を更に吹聴し、若いファンが信じてしまった、という事である。
帰郷後の事は、渡邊氏が調べているが、ラジオ番組をおろされた、といっても、暫くして
「金城哲夫ショー」の司会をしたり、海洋博の依頼を引き受けたりした。アルコールの件
他は渡邊氏から、家族の問題として現時点では我々は書かないようにしているし、昨年
の国営放送のディレクターは、金城氏の書斎で、これからも頑張るぞ、という意気込み
の書いたメモも見出していたという。然し、あの放送局で長崎出身の脚本家の意見は入れ
ないと、おつきあいというのがあるのだろう。
ともあれ、金城哲夫は、幼年時代、第2期ウルトラの時代の我々にも興味を抱くような、
夢を与え続けた事には間違いない。(2期は、説明が多すぎる)(DD記)

>「鍵」記事を解除しておきます。私も近い感想を持っておりますので。
というか、ある件で、2月は平穏になってしまいそうですので。
紀要は着実に4号を編集中です、、、。(杉本)

>また「鍵」にしてましたが、やはり今、覚醒しましたので、内容は受け取り方
様々ですが、一つの意見として出しておきます。第1期人間である私も東京時代
は少なくとも金城哲夫さんはSF的面白さを追求して、ドラマを
(他の作家の作品の統括も含めて)作っていたと感じておりますから。
でぃぷろどくす氏は、ズバッと語って下さいますが、私の本音はもう少ししてから
にします。今は休んだ分だけ仕事が忙しいし、2月の代わりも考えないといけない、
「金城哲夫研究」の雑誌も作らねばいけない、蝶の原稿(こちらは脱肛、いや脱稿)
も書かなければいけない…というのと、早朝痛みで起きるように持病もあるので。
少し寝不足でスミマセン。
             (渡邊)
by watanabe-toyonobu | 2011-01-22 04:41 | 映像