沖縄の生んだ脚本家「金城哲夫」氏の作品とその履歴を研究する会です~杉本一夫(2012年から)


by watanabe-toyonobu

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祭日なので、思い付く儘(まま)書きまくります。

5 沖縄口と大和口
「沖縄口と大和口のはざまに」という、沖縄芝居のパンフレットに寄稿された金城さんのエッセイがある。台本を大和口で書く”金城哲夫
”としては、その台本が、沖縄芝居やラジオドラマとして演じられたり、放送されたりする際に、微妙な意図のくいちがいがあったように記されてあった。もちろん、演出家としての金城さんは、割り切ってあくまでも台本は芝居の設計図として、役者たちと意見交換しながら作り上げていったに違いない。でも、作家としての金城さんはそうは割り切れなかったと思う。だから、「自分が沖縄口をもっと書ければ」と、本音とは逆の意見を述べられたのでは?と、私個人は思う。さて、2008年、私は金城家への感謝の気持ちとして、金城さんのラジオドラマのリメイクを制作した。当然、その際には周囲(といっても、沖縄の方々だが)からは、沖縄口で、という要望があった。沖縄芝居の雰囲気を出すべきだとも。然し、はからずも大城立裕氏が新聞などで述べられているように(本当の意味での沖縄口は死滅し、現在方言復活にあまり乗り気ではない)、今、沖縄で復権しようと県が推し進めているのはウチナーヤマト口である。チャンプルー文化でもある沖縄では、純粋なる沖縄口でリメイクしても意義があるであろうか?オリジナルを捜索することで、そちらの問題は解決していただく事として、今は金城家に対してであっても、いつか公開となった時には、大和口で制作しておいた方が、金城さんの「沖縄を広く世界に知らしめる事」というお気持ちに叶っているのではないか(言葉は変遷するので、これに関しても今後どうなるか分からないが)?沖縄を広く世界に知らしめる事。金城さんが、多くの理由はあるであろうが、「吉屋チルー物語(原案は’苔の下’)」を製作・監督した理由の一つを、実妹さんの上原美智子さんからお訊きした。金城さんが、この作品を製作した時代は、南米へ移民として行った多くの沖縄人が、2世、3世も含めていた時代であった。そういう方々に故郷の沖縄を思い出してもらおうと、ペルー巡業も考えていたらしい。そういう意味で、沖縄口で製作されたとすれば、現時点でのリメイクは、大和口で制作しておいた方が、金城さんに対して礼を尽くせれたと判断した。実をいうと、哲夫さんのお母様・ツル子さんもペルー移民の2世である。それも、南米巡業の理由の一つかも知れない。2009年に私がボリビアへ行った際、コロナールオキナワという地名の場所が実際在ることも知った。更に蛇足だが、金城さんのお母様のご先祖も空手の始祖とかで、こちらに関しては研究者が調査中であるらしいので、あまりここでは記述しないでおく。金城一家は、みなさんが、全員逸話を持つ方ばかりなので、私の文では書ききれない。


6  リメイク版「噴煙」について
 金城哲夫・作「噴煙」は、1975年、琉球反逆伝シリーズと銘打たれたRBCのラジオドラマの一つとして放送された。

さて、今度、哲夫さんの生誕70年&33回忌として、このラジオドラマを名古屋の劇団シアターウィークエンド(座長・松本喜臣氏)の協力を得てリメイクした。哲夫さんは円谷特技プロ時代に数多のフォノシート(簡易レコード)のシートドラマの脚本も書かれている。また、オリジナル小説やノベライズも手がけられ(「ウルトラQ」の他の作家の作品も含め)ており、視覚的手段以外の作法もこなされてきた。帰郷されてから、音だけの世界に挑まれたのではない。だから、音の再現だけでも充分か?とも思ったが、映像時代の昨今、音だけでは物足りず、同年の年明けに拝見した飯島敏宏監督の「ウルトラQ・ある朝、突然に」の電気紙芝居方式を盗用させていただいた。然し時間がなく、7月5日までには完成させたかったので、あらゆるタッチで描いた墨絵方式の画を挿入する事で急場をしのいで作成した。3月に企画、4月に台本完成、5月収録、6月に編集と描画、7月に金城家に納品、といったスケジュールであったため、画は非統一ではあった。それで終了予定であったが、実行委員からの連絡で、2008年11月の沖縄芸大にて開催された「金城哲夫プロジェクト・上映&アート展」で、金城和夫さんほか金城家の許諾を得て上映させて頂いたとの事である。上原美智子さんにも態々観に来て頂いて、その後、上原さんのギャラリーでも上映されたとの由。お恥ずかしいが、哲夫さんを偲ぶ意味においては、これに勝る嬉しさはない。


7 犬が死んだよォ
 1989年から1994年頃迄、私は沖縄では与儀の図書館で、地元の愛知県では丸の内に移転した県の図書館で、「金城哲夫」をキーワードに色々な本を読みあさった。丁度、1989年は私が医大の助手を辞め、民間の老人精神科病院に移籍する最中で、心中思うところあった時期であった。それ以前は、朝日ソノラマ刊のファンタステックコレクションや同社の発刊した金城哲夫さんの二冊のシナリオ集、アディン書房刊のシナリオ集、実相寺監督著作のも含め、SFドラマを主体とした円谷プロ時代の研究書が主であった。私は几帳面な方ではなく、きちんとメモしていないので記憶が曖昧ではあるのだが、その中で、特に印象に残っている本があった。それは、題名は忘れたが、藤本義一氏のエッセイである。11PMの沖縄海洋博特集の番組で、藤本氏、真理アンヌ氏を相手に海洋博の素晴らしさ、沖縄の素晴らしさを一生懸命、日本中に訴えていた。藤本氏からは、「金城君は独身のいい男です。」と、(後日、これは藤本氏の冗談であったことを知ったが、上原正三氏もこの番組を御覧になられており、私の記憶違いでは無いことを、3年前に確認出来た。そして、「金城哲夫研究」2号にも掲載した。)しきりに言われてはにかんでいた姿が、いまでも私の頭に残っている。それ以外では藤本氏と金城哲夫氏の接点は知らない。でも、その番組では旧知といった印象を受けた。さて、藤本氏のエッセイではこうである。突然、夜中に金城氏から藤本氏宅へ電話がかかる。内容は忘れたが、泣きながら「犬が死んだよォ」ではじまったという。後年、同じ話題をどこかの本で拝見したが、金城さんが藤本さんに訴えたかったのは、その時の沖縄の現状であり、犬は本題とは全く関係なかったそうである。兎に角(’とにかく’であって、’うさぎにつの’ではありません)、酔いの中での電話で、要点がつかめなかったようだ。沖縄初の芥川賞作家の大城立裕さんも、金城さんからの一個人がどうしたって何とも出来ない内容の話が、夜中によくかかってきたという。精神科になって、仕事以外ではやっと分かるようになってきたが、人間どうにもならないときには、解答なくても、他人に語ることによって、その時の苦しい気持ちが、幾分かは解消されるものだ。海洋博の件で、義憤にかられてあちこち電話されていたようであるが、金城さんは「話す」事で、気持ちを昇華されていた。逆にきいてあげる方々がその時代はいて良かったと思う。昨今は「個人の権利」がうるさく、なかなか電話かけづらい為、抑鬱状態になっても、個人で、ギリギリまでかかえてしまう。嫌な時代になったものだ。ところで、関係ないが、有里アンヌという名前は、真理アンヌ氏がモデルといわれ、実際そうであるだろうが、私が沖縄滞在中、八重山方面で「友利」という姓があることを知った。こじつけであるが、金城さんの悪戯心として、これも沖縄を大和にこっそりと知らせる策略であるように感じる。(あくまで推論で、踏襲しないでください)

最新情報 
     10月3日仙台ジュンク堂にて「創世紀のウルトラを語る」トークイベント開催
     11月2、3日 沖縄県芸大祭にて「金城哲夫とウルトラアート」「金城哲夫フォーラム」予定。
                    今回はフォーラムで、ゲスト(未定、調整中)をお招きする予定。
             (担当;でぃぷろどくす)

沖縄県立芸術大学での「金城哲夫フォーラム」等の開催が、ほぼ決定となりました。
ワークショップは、金城哲夫さんの母校での開催を企画。子供たちへの参加を呼びかけます。
また、例年のように、「金城哲夫とウルトラアート」の参加作品の一般公募も致します。
応募用のアドレスは此方です、此方は作品応募専用のアドレスになりますので私信はご遠慮ください。
「金城哲夫プロジェクト」「金城哲夫ファン倶楽部」「金城哲夫研究会」代表;佐藤文彦
ultra-art-okinawa@hotmail.co.jp(「金城哲夫研究」の原稿アドレスも此処にします)


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松風苑   沖縄県南風原にある、花鳥風月を共とする日本料理。
      約1000坪の敷地内に広がる日本庭園。
      二人以上の予約制。
      詳細は、外部リンクで
      http://www.syofuen.jp/index.html 



<世界の蝶シリーズ>
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テンジクアゲハ(スリランカ)
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by watanabe-toyonobu | 2010-09-23 10:03 | 告知