沖縄の生んだ脚本家「金城哲夫」氏の作品とその履歴を研究する会です~杉本一夫(2012年から)


by watanabe-toyonobu

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明日は復帰の日

 復帰記念日と書くとまずいかも知れませんので、復帰の日とします。
少し時間出来ましたので、金城哲夫資料館からの画像をトリミング修正して
紹介いたします。協力の北島町、小西様、松風苑の金城和夫様に深謝であります。
(渡邊)
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by watanabe-toyonobu | 2011-05-14 12:28 | 金城哲夫
他のメンバーがするように、気になる記事があったので「引用」致します。
私は政治論をするのではなく、地球に生息する生物あっての人間という観点から、
この話題をとりあげました。
沖縄北部のヤンバルは、私も山小屋があり、そうなったら、絶対反対いたします。
ヤンバルは大国林道が通っても未だ何とか自然があり、ヤンバルクイナ、ノグチゲラ、
コノハチョウ、リュウキュウウラボシシジミ、(フタオチョウは南下したが)、
リュウキュウウラナミジャノメ、オキナワカラスアゲハ、ヤンバルテナガコガネなど、
希少種・天然記念物が分布しております。
 震災で「縮小」が叫ばれている時に一部の現地の為政者に依って
こういう流れがあった、という事は、中城開発によるフタオチョウなどの
減少とも関係して避けなければなりません。

以下、その記事を引用致します>


米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題に関し、同県北部にある国頭村の一部住民が地域振興を条件に同飛行場の国外移設が実現するまでの間、「代替施設建設を含め基地機能を受け入れる用意がある」と外務、防衛両省に伝えていたことが13日、分かった。与党幹部が明らかにした。

 それによると、受け入れを伝えたのは国頭村で指導的立場にある住民の一部で、条件として高速道路建設などの振興策を求めている。国頭村と隣接する東村の両村には米軍北部訓練場がある。

 これに対し、防衛省幹部は「インフラが未整備の山奥で、代替施設の建設に数十年かかる。受け入れに賛同しているのはごく一部で、全く現実的でない」と語った。 

以上、「時事通信」からの引用であるが、またしても自然破壊しか考えない
利己主義さ(高速の件、東村といえば、あの○○女史の関係か?)をあからさまにしている。
私たちが沖縄行くのは、「自然」を観察するつもりであって、あの大国林道ですら無意味であり、多くの希少動物を絶滅に追いやっている。

「基地受け入れ」が本音ではなく、沖縄自身の問題(一部の為政者)で、
自分達の「快適」さ
を優先しているだけなのだ。

若し、「海」だけでやっていこうとするなら大間違いだ。
山も沖縄に必要だ。私がしんどくても「海外」に行くのはそこにしかいないものを
求めて行く。沖縄だってそうだ。石垣の海岸線が内地の街と変わらなくなって、
西表もホテルが建って、私は積極的に行きたくなくなった。
沖縄にお金を落とす私の今までの行為が無意味になる。
今は「不便さ」が逆に大事だ。子供の頃のようにローソク、チョウチンライト、
テレビは深夜帯は休止、などの対策の方が重要だと思う。

また「でぃぷろどくす」氏が憤慨するような内容であったが、彼は今、私が捨てた
機械(8ミリ)が壊れてソフトも見れず
少し落ち込んでいる。まぁ、丁度家電が壊れて今の国民として
電気に頼らなくなっている生活をして、私と同じく先陣きって素晴らしいと思うが。

このブログ借りましたが、あくまでもチョウ好きな渡邊個人の意見であります。
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開発されてしまって、コノハチョウやフタオチョウが激減した名護の産地。
「天然記念物」を採集者による密漁で激減、と嘯き(うそぶき)、
実は「開発」が激減の元凶である事の証拠画像です。

(渡邊 )
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by watanabe-toyonobu | 2011-05-14 05:15 | 沖縄

「てふてふはべる」

 渡邊個人のブログ「てふてふはべる」では、今月は28のエントリーを予定し、
悪乗りして本日からオジンギャグパレードに致しました。
リンクしませんので、探すのには時間かかると思いますし、「検索」には
引っかからないと思います。
明日は「運玉(ウンタマ)」にしようか、とか「フジ(ミドリシジミ)の卵」
にしようか、考えております。昔の「ウシトラ999」とは全く別の題名で、
と考えております。
きっかけは、たまたま最初のエントリー(実験の次)が「39」だったので、
「51」とか「13」「26」など、そしてカラーライズの事もあり、
今月は「28」です。6月と7月は2回に分けて「49」を目指しますが、
「12」は多分欠番にするつもりです。
>ざんぶろんぞ様、杉本様、私的告知と指摘されそうですが、誌的で素敵と
思いますが、公共の場でスミマセン。(渡邊)


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エクアドルのスカシジャノメ
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by watanabe-toyonobu | 2011-05-11 18:56 | 蝶の話し
渡邊豊信氏がHP,Web嫌いなのは、この Wikipediaが率先して間違いを
公開するからである。
何の気なしに「円谷英二(本名:つむらやえいいいち)」の「検索」項目観たが、
資料をちゃんと見ていない、、、⇒(つむらやえいいち)で、(い)が余分でした。
             <お昼に修正>
以下、転記>>>

円谷英二 - Wikipedia同年、人気芸者・市丸の主演2作目(薄田研二共演)となる『小唄礫 島追いお市(こうた つぶて しまおいおいち)』で、監督、 .... 二人は『ゴジラ』の製作発表の場で、 ようやく互いの素性を知って驚き合ったというが、伊福部によれば、おかげで以後の仕事 は ..... 特撮を彩る造形素材については、ガラス繊維、FRP、発泡スチロール、発泡 ウレタンなどといった当時最先端の材料を積極的に ..... られ、「ズボラヤ」などと 揶揄されて、現場から排斥される要因となったのはまさに先駆者としての悲劇としか言い 得ない。 ...

>>>先ず、竹内博氏個人の文献や昔の円谷英二氏の文献を調査
されていれば、こんな愚かな間違いはしない、、
『小唄磯(いそ)』で、『礫(つぶて)』ではない、、
『鳥追い(とりおい)』で『島追い(しまおい)』でない、、、
最近の若者の知ったかぶりは、昔の遊女でない、路上の客引きを
『鳥追い』と言った事も知らない、、、
こんなのは常識の範囲だ、、、
そして態々(わざわざ・・・ですぞ、たいたいと言ったり、
『屯(たむろ)』を(とん)というのは、『口腔(こうこう)』
を(こうくう)と読めなかったバカな偉い医者と同じ、、、齎す(もたらす)も、
飯島監督のお好きな漢字)間違った「読み方」-「「しまおい」など、
吃驚する、、、まだまだインターネットは信頼おけない、、、

 書き込んだ人は勉強不足のまま Wikipediaに書き込まないで
頂きたい、、、円谷一『円谷英二:1972』にも関沢コメントや、巻末のリストに
きちんと書いてある、、、史実は正確に、、、は、某OP○R(○でお考えください)氏
のHPでも(この男のおかげでひどい目にあった、、、)
間違いのあることや、渡邊氏が沖縄にて飯島監督とS氏ほかのプロフィール
作成でも、御本人方から指摘された、、 Wikipediaは踏襲しないほうが良い、、、

「検索欄」だけで、本文は観てないので、修正されていれば良いが、、、

みなさん、新聞や先人の記憶を大事にして、間違いはむやみに書かないように
しましょう、、、そして「記憶」のない若い世代は自分の世界を一般に公表しない
ように、、、T.Y氏が金城哲夫氏の事を調査半分で自分の世界で間違いをしたよう
な事はもうおこさないで欲しいものだ、、、

(杉本一夫、補佐・アドバイス:渡邊)
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by watanabe-toyonobu | 2011-05-10 18:54 | 資料
「ウルトラマンになりたかった少年」だったy&y様へ、個人的な伝言の為にこの場をお借りします。
ご結婚おめでとうございます、此方ではハンドルネームで編集をしておりますので本名で探されても判らないと思います。
もし此処までたどり着いてたのならば下のコメント錬に「非公開コメント」で連絡先を書き込んでください。
 
渡邊様申し訳ありませんが一週間ほどこの場をお借りいたします。byざんぶろんぞ 
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©金城哲夫資料館 協力:北島町創世ホール(小西様)By 渡邊豊信
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by watanabe-toyonobu | 2011-05-08 12:55 | 業務連絡

改定版・金城哲夫略歴

金城哲夫  略歴を、「金城哲夫研究」の報告文を参考に改定致します。

 金城哲夫氏(以下、金城)は、父親が東京の獣医学校に通っていた関係で、両親が東京に在住中の1938年7月5日に出生する。(その為、東京生まれである)
直ぐに沖縄へ。(生まれ育ちは沖縄、である)…(一部修正:2010.10.4)
第二次世界大戦も幼少期に体験。
中学までは実家にある沖縄で過ごす。
中学卒業と同時に東京の玉川学園高等部に入学。玉川大学で、恩師・上原輝男の仲介で円谷英二特技監督に師事する。
円谷監督の紹介で、関沢新一氏に脚本の書き方を習得する。
卒業後も円谷特技研究所の一員としてシナリオを勉強。井出雅人や生田直親にも師事。
「かぐや姫」のシナリオを習作として執筆したりする。
1961年から1963年にかけて、沖縄で「吉屋チルー物語」を製作・脚本・監督する。
続いて、1963年4月に発足した円谷特技プロの初代企画室長となる。
そして、同年5月から沖縄で「沖縄物語」を灘千造と共同で制作。
その前に1962年に「絆」でTV脚本家としてデビュー。
1964年は、「月曜日の男」、「こんなに愛して(生田直親氏との共同)」、「いまに見ておれ」の共同脚本担当。
1964年から「WoO」と「アンバランス」の企画、シノプシス作成などをSF作家クラブの協力ですすめる。
前者は頓挫するが、後者は同年の秋から撮影がはじまった。
これが1966年放送開始となった「ウルトラQ」である。そして「ウルトラマン」「ウルトラセブン」と傑作をものにしたが、事情で帰沖。
 沖縄では家業を手伝いながら、テレビ、ラジオの仕事、沖縄芝居の脚本・演出を手掛ける。
1975~1976年の沖縄海洋博覧会では式典の演出や広報、沖縄館で上映された「かりゆしの島」
の脚本・構成と吉田憲二監督との共同での演出を担当する。1976年2月26日、惜しくも事故にて他界する。
(担当・渡邊豊信、改定記事:杉本一夫、一部敬称略)

>丁度1年になろうとしているので、再度略歴を書いておきます、、、(杉本)

画像©金城哲夫資料館、協力:北島町創世ホール(小西様)
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トリミング致しました(渡邊:5月14日、明日は復帰記念日です)
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by watanabe-toyonobu | 2011-05-01 20:09 | 金城哲夫