沖縄の生んだ脚本家「金城哲夫」氏の作品とその履歴を研究する会です~杉本一夫(2012年から)


by watanabe-toyonobu

カテゴリ:金城哲夫( 124 )

引き続き、ドラマ解説を担当者の同意にて、創刊号から転載する(敬称略)

ドラマ・純愛シリーズ『絆』  1962年1月24日放映;午後9:30~10:00


 脚色の立場で、金城哲夫の本格的テレビドラマデビュー作となる、TBSの純愛シリーズ「絆(きずな)」について、当時の新聞のテレビ番組解説をもとに紹介したい。

ストーリー)
ある中学校。二年B組担任の兵馬先生はクラスのやっかい者の知的水準が低い生徒である朝井弓子をなんとか養護施設へ入れないですむよう特別気を遣って弓子の面倒をみていた。だが、国語のテストで弓子が再三にわたり妨害したので、先生は弓子の手を打った。それ以後、弓子は先生に反抗的になった。先生の献身的な指導ぶりに同情的だった同僚の中にも、この際弓子を養護施設に入れたらどうか?とすすめる者が出てきた。

解説)
円谷特技研究所時代の金城の初のテレビドラマである。演出は円谷英二特技監督の長男である円谷 一ディレクターである。両者の初コンビ作品となる。原作は宇津木十四男氏「空しきたより」。この作品は、1961年に文部省が一般から公募した芸術祭テレビドラマの佳作入選作であり、それを金城が脚色した。宇津木氏は、立川市第二中学教諭(当時)であり、金城も玉川大学の教育学関係の学部を出ている。
 このあと、金城は1963年にかけて、沖縄関係の映画やテレビドラマを製作していく。

出演/
兵馬先生・和田 寧 、 弓子・松尾佳子、
  村田正雄、 鈴木光枝、 成田光子(敬称略)  ほか。

参考文献 中日新聞・1962年1月24日付け、テレビ欄

ついでに、製作途中の陶芸作品の画像も転載する。f0226161_11423479.jpg
[PR]
by watanabe-toyonobu | 2010-06-19 11:43 | 金城哲夫

金城哲夫作品 紹介

作品紹介
近鉄金曜劇場『こんなに愛して』を、創刊号より、担当者同意の上、一部修正して転載する(敬称略)。
                                      

ストーリー)
東京都にある典型的な団地。ここに住む大介(演・大坂志郎)、ヤッコ(演・ペギー葉山)夫婦は、団地族としては規格はずれであり、ヤッコは家事はからきしダメだが、陽気で親切、団地の子供たちに菓子や果物を買って与えて一緒に遊んでいる。マネキン工場に働く大介も電車の中で美しい手を見つけると撫でまわすという仕事熱心でしかも変わり者。そんな夫婦を団地族が嫌うようになり、ヤッコが子供たちと遊んでいると親がとんできて連れ戻すようになったのだ。規格品的な現代のワクからはみだした夫婦の哀歌をスケッチ風に描くものである。(朝日新聞より)

ポイント解説)
東京の赤羽台団地で撮影したオール・ロケ作品。主役のペギー葉山はNET「判決」出演以来の二度目のテレビドラマ主演。他の出演者は、小笠原章二郎、花岡菊、渡辺康子、坊屋三郎、梅津栄ほか。
朝日新聞より)

金城哲夫のテレビドラマのオリジナル脚本第一作として語られてきた「こんなに愛して」であるが、従来は1963年2月放送とされてきた。筆者も過去のデータを踏襲して印刷物を作成してきたが、1963年2月の名古屋・東海地区の新聞では発見出来なかった。マイクロフィルムは見逃す事も多い。
 この度金城の沖縄における作品『吉屋チルー物語』『沖縄物語』の検証作業の為、改めて東海地区だけでなく、関東地区(深夜放送枠も含めて毎日の)テレビ欄を精査してきた。f0226161_11315646.jpgこの1963年というのは『沖縄物語』や『吉屋チルー物語』の完成年度を知る上で重要になってくる。
 従来、全国ネット作品としての金城のオリジナルドラマ第一作は『こんなに愛して』となっており、数多の報文でもそれが踏襲された形となっている。それによって金城作品の分析は異なってくる。
 
 が、更に『月曜日の男』を調べる事、深夜に放送したであろう『沖縄物語』を調べる過程で『こんなに愛して』の放映日が1964年2月28日と確定出来た。円谷特技プロの会社としての登録は1963年の4月であるから、金城はその頃は、上原正三氏の記憶通り、1963年の初頭は『吉屋…』の仕上げ、初夏から晩秋にかけて『沖縄物語』の撮影の為に沖縄の長期滞在、そして仕上げに秋には東京へ。同年の7月の新聞記事に『太平洋ひとりぼっち』の撮影が開始された。こちらは円谷特技プロの特撮班の仕事である。
そうなると、金城の初実質のオリジナルドラマ(『絆;1962』は脚色であるため)は、『沖縄物語』を除いて従来の『こんなに愛して』ではなく、『月曜日の男』「ペン先のレクイエム」という可能性が高くなる。
 
[PR]
by watanabe-toyonobu | 2010-06-19 11:32 | 金城哲夫
 渡邊氏から連絡あり。
予定通り印刷の方に入稿され、7月5日目指して発刊されるという。

沖縄では、「松風苑」はお料理を食べに来て頂いた方で、興味のある方に無料配布、「画廊沖縄」でも見学に来られた方には同様の形で無料配布との事。桜坂劇場にも置いてあったという。

あとは契約したジュンク堂などで販売。

岡山地区では従来の書店にて販売らしいです。

(担当:どんぶりんだf0226161_1174100.jpg
[PR]
by watanabe-toyonobu | 2010-06-18 11:07 | 金城哲夫

金城哲夫  略歴

 金城哲夫氏(以下、金城)は、父親が東京の獣医学校に通っていた関係で、両親が東京に在住中の1938年7月5日に出生する。(その為、東京生まれである)
直ぐに沖縄へ。(生まれ育ちは沖縄、である)…(一部修正:2010.10.4)
第二次世界大戦も幼少期に体験。
中学までは実家にある沖縄で過ごす。
中学卒業と同時に東京の玉川学園高等部に入学。玉川大学で、恩師の仲介で円谷英二特技監督に師事する。
円谷監督の紹介で、関沢新一氏に脚本の書き方を習得する。
卒業後も円谷特技研究所の一員としてシナリオを勉強。
1961年から1963年にかけて、沖縄で「吉屋チルー物語」を製作・脚本・監督する。
続いて、1963年4月に発足した円谷特技プロの初代企画室長となる。
そして、同年5月から沖縄で「沖縄物語」を共同で制作。
戻るが1962年に「絆」でTV脚本家としてデビュー。
1964年は、「月曜日の男」、「こんなに愛して(生田直親氏との共同)、「いまに見ておれ」の共同脚本担当。
1964年から「WoO」と「アンバランス」の企画、シノプシス作成などをSF作家クラブの協力ですすめる。
前者は頓挫するが、後者は同年の秋から撮影がはじまった。
これが1966年放送開始となった「ウルトラQ」である。そして「ウルトラマン」「ウルトラセブン」と傑作をものにしたが、事情で帰沖。
 沖縄では家業を手伝いながら、テレビ、ラジオの仕事、沖縄芝居の脚本・演出を手掛ける。
1975~1976年の沖縄海洋博覧会では式典の演出や広報、沖縄館で上映された「かりゆしの島」
の脚本・構成と吉田憲二監督との共同での演出を担当する。1976年2月26日、惜しくも事故にて他界する。
(担当・渡邊豊信)


同氏を偲び、2008年7月5日に金城哲夫氏のラジオドラマ「噴煙」をシナリオ通りに大和口でリメイク。
音だけでは、と思い、墨絵の紙芝居方式で制作。声の出演は、「ウルトラ作戦第一号」にノンクレジットでゲスト出演した松本嘉臣氏と劇団シアターウィークエンドの面々である。
墨絵画像が、渡邊氏(以後、渡邊)から届いたので紹介する。
f0226161_11263426.jpg

f0226161_11265183.jpg

[PR]
by watanabe-toyonobu | 2010-06-04 20:24 | 金城哲夫