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沖縄の生んだ脚本家「金城哲夫」氏の作品とその履歴を研究する会です~杉本一夫(2012年から)


by watanabe-toyonobu

歴史的事実は曲げないように

 私も人間ですから、間違いはします。が、歴史的事実(史実)を曲解してしまうのは良くない。
そういう思いで、山田輝子氏から始まった「翼あれば」の放映日の間違いを指摘する目的で、
新聞資料も併せながら、冊子を発行したのが、私の「金城哲夫ファン倶楽部」のはじまりである。

今、また、某BBSで、親切に指摘したことを、淡々と否定された。
事実関係は、私は裏とりを極力努力する。下記が事実である。

① 「西遊記」は、香取プロデューサー(国際放映での契約)、森川氏等と共に、国際放映に移籍している、熊谷建氏もPDを担当。円谷プロが特撮の発注を受け、小池制作担当者が仕切って、デンフィルムエフェクトの高野宏一氏に特撮監督を依頼。スタッフも関屋キャメラマンほか、のちに「~80」で活躍するメンバーを契約で組んだ。
中野稔氏が、前半の光学撮影・視覚効果を担当。クレジットの表記で、「円谷プロ、デンフィルムエフェクト」とあるのは、その関係。高野監督(助監督は吉村氏)から、創英舎の鈴木清氏、東宝映像の中野昭慶氏、「最後の恐竜」でフリーとなった佐川和夫氏(「スターウルフ」は、フリーとして特撮監督を担当。「~タンサーファイブ(サンライズ=特撮研究所)」東映の「バトルフィーバーJ]「デンジマン」など担当)
等を特撮監督として招聘し、円谷プロが現場を仕切って制作した。
因みに「帰ってきたウルトラマン」も高野監督は、デンフィルムからの出向である。あと、後半の助監督である神澤氏が特撮監督をした。東宝映像(仕切りではなく、処理)は、宮西氏が、視覚効果の立場で参加したから、デンフィルムに代わりクレジットされていた。これは「~80」迄続く。
②「西遊記Ⅱ」は、国際放映の担当PDに有川氏が加わり、かなり早期から、鈴木清氏所属の創英舎に特撮を担当しようと判断。同氏の特撮を気に行ったらしい。そして、円谷プロも「タンサーファイブ」の特撮下請けを断ったように、契約は最初からしなかった。特撮は、東宝映像は仕切ってなく、視覚効果のみである。もうこの頃は「日本沈没」の頃のような制作能力は同社にはなかった。そして「~80」以降に東宝映像美術となっている。
③「恐怖劇場アンバランス」でも、光学処理は、東宝技術部で行われた。TBS以外は例のオプチカルプリンターは使用せず、だから「戦え!MJ」などでも、合成は荒くなっている。デンフィルムは、「光学効果」の演出で、合成は主に日本エフェクトセンターで行われたという。「恐怖劇場~」の場合は、N氏が日本エフェクトセンターでされた記憶なく、視覚効果の現場の演出を担当し、処理は東宝映像の前身(全てではありません)でもある
東宝技術課で処理された。当時、徳政氏、川北氏、宮西氏が、中野氏と並んでクレジット表記されているのはそのためであり、中野氏も、東宝技術部の方々も一緒に仕事をしたという記憶はないとの事でした。

但しN氏は、発言が変わる事が多い。然し、N氏とM氏のお話の一致する点が多々あり、また、ある尊敬する巨匠監督の御意見で、「専門用語では、確かに画面デビューとはいわないが、円谷プロ作品で、最初にクレジットされたデビュー作品という意味ならばいいでしょう」という事でした。


こういった史実の積み重ねが、やがて金城研究にも反映する。
また、Web嫌いであったが、犬山にお越し頂いた尊敬する俳優さんのお言葉で、整理して覚書を作成した。

そういえば、私が、「的を得る」と言ったら違う、「的を射る」だと指摘された方がいるが、「正鵠を射る、得る」どちらも漢語では正しい。それよりも、漢字の読みを間違う医者に呆れる。例えば有名なのは、口腔(こうこう)を、’こうくう’と読んだり、流涎(りゅうぜん)をりゅうえん、と読んだり、嚥下(えんか)を’えんげ’と言い続け、医学では慣用とか言ったりして、戦後、間違った読みの方が、一般にも定着したのは嘆かわしい。
「時代と共に言葉が変わるとは、訳が違うよ!万城目クン!!」と、一の谷博士であれば言いたい。



という、覚書であります。史実は正しく。引用も出来る限り載せましょう。また先達に聞きまくりましょう。
by watanabe-toyonobu | 2010-08-01 13:06